大好きなお花や、家庭菜園、料理、パンやお菓子作り、そんな日々の暮らしを、アップしていきたいと思います。
みんなに元気を発信していけたらいいなぁ♬
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こんにちは。
昨日は、バタバタしていてアップ出来ずごめんなさいm(__)m
遅くなりましたが、青蓮院の飛び地境内、
将軍塚に出来た青龍殿の紹介です。
東山山頂にある将軍塚まで、シャトルバスで行きます
シャトルバスは、青蓮院から30分毎に運行されており、
片道100円(8時30分~20時30分)です。
この将軍塚からは、京都市内が一望出来ます。
将軍塚からの夜景を見られた人は、多いと思いますが、
多分、みなさん、市の無料駐車場と展望台から見られたんだと思います。
そこから、100メートルほど北へ行くと、
青蓮院の飛び地境内である将軍塚大日堂があります。
そこに今月、「青龍殿」が完成したのです。

この青龍殿は、戦前の大日本武徳会の京都支部道場「平安道場」だったものを解体移築したものです。
この「平安道場」は、京都府警の柔剣道場として長く使われてきましたが、老朽化により、廃棄処分が決定されていました。
しかし、木造大建築の文化財級の建物であったため、破棄するのは非常に惜しいとなり、保存運動が起きたそうです。
その保存運動も暗礁に乗り上げ、話が青蓮院さんに持ち込まれたという事です。
元々、青不動をお祀りするお堂の建立を将軍塚に計画していた青蓮院さんは、なんとかこの部道場の建物をのこそうと、護摩堂に活用して保存する事に決められました。
でも、それからが大変だったようで・・・
京都市の建築許可に4年11ヵ月、期間は重なりますが、京都府の建築許可に3年、通算5年11ヵ月の時間を要したそうで、ご門主様は、その間、とても御心配御苦労をされたようです。
許可が遅れたため、突貫工事となり、建築業者さんも大変な思いをされた事と思います。
そんな経緯もあり、無事に青龍殿が完成し、国宝の青不動が、この護摩堂で御開帳された事は、本当に喜ばしい事だと思います。
ご門主様がおっしゃるように、きっとお不動様のお導きがあったからこそなんでしょうね。
この舞台は、清水の舞台の5倍とか・・・
京都市街が一望できます
比叡山まで見えるんですよ
鴨川もはっきり見え、その向こうの緑の豊かな所は、御所です。
夜景もきっと素敵ですよね
この青龍殿護摩堂には、青不動様がいらっしゃって、
私達には、怖いお顔も優しい感じに見えました。
そして、青龍殿の左側のこんもり盛り上がっている場所が、将軍塚です。
桓武天皇の時代、都を奈良(平城京)から京都の南、長岡(長岡京)に移されましたが、いろいろと事故が続きました。
この時、和気清麻呂は、天皇をこの山上にお誘いし、京都盆地を見下ろしながら、都の場所にふさわしい旨進言しました。
天皇は、その勧めに従って、延暦十三年(794年)、平安建都に着手されました。
天皇は、都の鎮護のため、高さ25メートル程の将軍の像を土で作り、鎧甲を着せ鉄の弓矢を持たせ、太刀を帯させ、塚に埋めるよう命じられました。
これが、この地を「将軍塚」と呼ぶ由来です。
青龍殿向かいには、庭園があり、
紅葉時期には、きっと素晴らしい景色になると思います
まだ緑ですが、来月半ば頃には、きれいでしょうね。
ライトアップも楽しみです。
長々となりましたが、最後まで見て下さってありがとうございますm(__)m
ぽちっと応援宜しくお願いします。
↓ ↓


昨日は、バタバタしていてアップ出来ずごめんなさいm(__)m
遅くなりましたが、青蓮院の飛び地境内、
将軍塚に出来た青龍殿の紹介です。
東山山頂にある将軍塚まで、シャトルバスで行きます

シャトルバスは、青蓮院から30分毎に運行されており、
片道100円(8時30分~20時30分)です。
この将軍塚からは、京都市内が一望出来ます。
将軍塚からの夜景を見られた人は、多いと思いますが、
多分、みなさん、市の無料駐車場と展望台から見られたんだと思います。
そこから、100メートルほど北へ行くと、
青蓮院の飛び地境内である将軍塚大日堂があります。
そこに今月、「青龍殿」が完成したのです。
この青龍殿は、戦前の大日本武徳会の京都支部道場「平安道場」だったものを解体移築したものです。
この「平安道場」は、京都府警の柔剣道場として長く使われてきましたが、老朽化により、廃棄処分が決定されていました。
しかし、木造大建築の文化財級の建物であったため、破棄するのは非常に惜しいとなり、保存運動が起きたそうです。
その保存運動も暗礁に乗り上げ、話が青蓮院さんに持ち込まれたという事です。
元々、青不動をお祀りするお堂の建立を将軍塚に計画していた青蓮院さんは、なんとかこの部道場の建物をのこそうと、護摩堂に活用して保存する事に決められました。
でも、それからが大変だったようで・・・
京都市の建築許可に4年11ヵ月、期間は重なりますが、京都府の建築許可に3年、通算5年11ヵ月の時間を要したそうで、ご門主様は、その間、とても御心配御苦労をされたようです。
許可が遅れたため、突貫工事となり、建築業者さんも大変な思いをされた事と思います。
そんな経緯もあり、無事に青龍殿が完成し、国宝の青不動が、この護摩堂で御開帳された事は、本当に喜ばしい事だと思います。
ご門主様がおっしゃるように、きっとお不動様のお導きがあったからこそなんでしょうね。
この舞台は、清水の舞台の5倍とか・・・
京都市街が一望できます

比叡山まで見えるんですよ

鴨川もはっきり見え、その向こうの緑の豊かな所は、御所です。
夜景もきっと素敵ですよね

この青龍殿護摩堂には、青不動様がいらっしゃって、
私達には、怖いお顔も優しい感じに見えました。
そして、青龍殿の左側のこんもり盛り上がっている場所が、将軍塚です。
桓武天皇の時代、都を奈良(平城京)から京都の南、長岡(長岡京)に移されましたが、いろいろと事故が続きました。
この時、和気清麻呂は、天皇をこの山上にお誘いし、京都盆地を見下ろしながら、都の場所にふさわしい旨進言しました。
天皇は、その勧めに従って、延暦十三年(794年)、平安建都に着手されました。
天皇は、都の鎮護のため、高さ25メートル程の将軍の像を土で作り、鎧甲を着せ鉄の弓矢を持たせ、太刀を帯させ、塚に埋めるよう命じられました。
これが、この地を「将軍塚」と呼ぶ由来です。
青龍殿向かいには、庭園があり、
紅葉時期には、きっと素晴らしい景色になると思います

まだ緑ですが、来月半ば頃には、きれいでしょうね。
ライトアップも楽しみです。
長々となりましたが、最後まで見て下さってありがとうございますm(__)m
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青龍殿
素晴らしいながめですね。
青龍殿が完成するまでの経緯は、大変なご苦労がおありだったんでしょうね。
無事の完成をお祝いします。
いろんな事が重なり、大好きな京都と縁がなくなったように感じていましたが、新たな気持ちで訪れたいと思います。
南禅寺の紅葉を穏やかな気持ちで見られる日が待ち遠しいです。
青龍殿が完成するまでの経緯は、大変なご苦労がおありだったんでしょうね。
無事の完成をお祝いします。
いろんな事が重なり、大好きな京都と縁がなくなったように感じていましたが、新たな気持ちで訪れたいと思います。
南禅寺の紅葉を穏やかな気持ちで見られる日が待ち遠しいです。
コメントありがとうございます♪
若い頃、京都で大学生活を送りたいと受験しましたが、落ちてしまい(笑)結婚してからは転勤で関東住まいが長くなり、今やっと京都を愉しめるようになりました。
京都は紅葉の名所が多く、今年はどこに行こうかと迷いますよね。
南禅寺の紅葉も素晴らしいでしょうね。
京都から足が遠のいていたたかさん、今年はゆっくり京都の秋を愉しんで下さいね。
京都は紅葉の名所が多く、今年はどこに行こうかと迷いますよね。
南禅寺の紅葉も素晴らしいでしょうね。
京都から足が遠のいていたたかさん、今年はゆっくり京都の秋を愉しんで下さいね。
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女性
自己紹介:
転勤で、東京・神奈川・埼玉に住み、2010年、出身地大阪に戻ってきました。
大阪での日々の暮らしをブログで発信しています。
家庭菜園、お花、パン作り、料理なども載せていきますね♬
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