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大好きなお花や、家庭菜園、料理、パンやお菓子作り、そんな日々の暮らしを、アップしていきたいと思います。 みんなに元気を発信していけたらいいなぁ♬
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今日は、山崎蒸溜所のガイドツアーについてemojiですね。

     

今日は、工場の中を紹介しますねemoji


こちらが、ウイスキーの原料となる二条大麦です。

  

サントリーでは、二条大麦のなかでもデンプン質を多く含むウイスキーづくりに適した品種を選んでいるそうです。

そして、こちらが二条大麦を発芽・乾燥させた麦芽(画像手前)

    

後ろにあるのが、粉砕麦芽。

この麦芽を細かく砕いたものを温水とともに仕込槽へ。

  

仕込槽で、デンプンが糖分に変わり、ゆっくりと時間をかけて濾過し、きれいに澄んだ麦汁を作ります。

この時の仕込水に山崎の名水が使われるのです。

そして、こちらの発酵槽に麦汁を移し、酵母を加えます。

  

サントリーでは、さまざまなモルト原酒を作るため、数多くの酵母の中からイメージするウイスキーの香味にふさわしい酵母を選んでいるそうです。

発酵槽には、ステンレス槽のほか木桶槽(上の画像)を使用。

木桶槽は、温度管理が難しい反面、保湿性に優れ、しかも蒸溜所内に棲みつく自然の乳酸菌などが働き、ウイスキーに豊かな味わいをもたらしてくれるそうです。

そして、蒸溜。

   

蒸溜は、ポットスチルと呼ばれる独特の形をした単式蒸溜釜を用い、初溜と再溜の2回行うそうです。

サントリーでは、炎を直接当てる直火蒸溜と蒸気を使った間接蒸溜の2つの加熱方式を採用。

この蒸溜釜、金色に光っているでしょ?
年月が経つと、銅が茶色から金ピカに変わるんですってemoji

蒸溜釜は、ストレート型とバルジ型があるそうです。
ストレート型は、この金ピカの釜。奥に見えるのがバルジ型です。


そして、こちらが、ニューポット。
蒸溜されたばかりのモルトウイスキーをニューポットと呼びます。
無色透明です。

  

そして、蒸溜されたニューポットを樽詰めします。

  

この樽詰めの様子は、なかなか見られないようで、この日はたまたま見ることが出来、ラッキーでしたemoji

  

樽の穴に蒸溜された原酒(ニューポット)が詰められます。

同じニューポットでも、詰める樽の種類により、熟成後は味わいの異なるウイスキーに仕上がるそうです。

サントリーでは、オークの木で作った樽で生まれたばかりの無色透明のニューポットを琥珀色の豊潤な香味をもつモルト原酒へと育んでいます。

上の画像の樽は、正の字から、17回使ったという事なんでしょうね。

新樽は、木香が強いため熟成も速く、原酒を早い段階で樽出しして使うそうですが、使うほど樽は練れて、木香が上品になり、長期熟成モルトに最適な樽になっていくそうです。

こちらは、貯蔵庫の中です。

  

自然のままの温度だそうですが、ひんやりしています。

この貯蔵庫で、ゆっくり時間をかけてウイスキーが育まれるのですね。

  

こちらは、樽の中で熟成された原酒についてガイドさんが説明して下さっているところです。

  

右側が、4年経ったもので、左が12年経ったものです。

無色透明だったニューポットが、琥珀色に変わっています。

比べてみると、12年経ったものは4年物より深みのある色になっています。

それに、樽の中のウイスキーの量が減っているでしょ?

樽の中で熟成される間に、少しずつ蒸発するそうです。

これを、『天使の分け前』と言うそうですよemoji






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今日は、山崎蒸溜所の話の続きでしたね。

昨日のブログで、竹鶴政孝の事に触れましたが、

彼こそが、「日本のウイスキーの父」と呼ばれ、後にニッカウイスキーの創業者となる人です。

「花子とアン」の後の、9月からのNHKの朝ドラが、この竹鶴政孝と妻リタをモデルにした「マッサン」です。

スコットランドから来た妻リタが、政孝のことをマッサンと呼んでいたので、「マッサン」というドラマ名になったようです。

  

ドラマも始まることですし、今日は、竹鶴政孝の事を少し記しておきたいと思います。

広島県賀茂郡竹原町(現竹原市)の造り酒屋で生まれた竹鶴政孝は、大阪高等工業高校の醸造学科で学び、洋酒に興味をもち、1916年(大正5年)卒業を待たずに大阪市の摂津酒造に入社。

当時、寿屋(後のサントリー)の下請けとして摂津酒造は「赤玉ポートワイン」も作っていたが、アルコール殺菌が徹底して行われてなかった葡萄酒の瓶が、店先で破裂する事故が、多発。

しかし、竹鶴が製造した赤玉ポートワインは、徹底して殺菌されていたため、酵母が発生増殖することなく、割れるものが一つもなかったそうです。

このことで、竹鶴の酒造職人としての評判は、世間に広がり、1918年(大正7年)摂津酒造社長、阿部喜兵衛の命を受け、ウイスキーの製造技術を学ぶため、単身スコットランドに赴き、グラスゴー大学で有機化学と応用科学を学ぶ。

しかし、座学だけではどうにもならないという焦りから、ハイランド地方の蒸溜所に軒並み実習願いを出す。

「一日も早く国産ウイスキーをこの手でつくらねば」

という使命があったから。

そんな中、ロングモーン蒸溜所から、実習の許可が下りた。

来る日も来る日も朝から夜遅くまで現場を歩きまわり、人の嫌がる仕事も勉強だと進んでこなした竹鶴。

実習では、なかなか細部まで明らかにされなかったが、幸運にも年老いた職工が、東洋から来た青年の熱意に感じ入り、蒸留器のバルブの操作などを教えてくれた。

いつしか、竹鶴のノートには、びっしりと設備のことや操作の注意などが書き込まれていった。


  

そして、このスコットランドで、妻リタと出逢い、1920年(大正9年)結婚。竹鶴26歳、リタ24歳であった。

この結婚には、周囲の猛烈な反対があったが、リタは血族の絆を捨ててまで竹鶴の元に嫁いだ。

その年の11月リタを伴い帰国。

帰国後、摂津酒造は、純国産ウイスキーの製造を企画するも、第一次世界大戦の戦後恐慌によって資金調達が出来ず、計画は頓挫してしまう。

そんな中、やはり本格ウイスキーの到来を確信していた寿屋(後のサントリー)の鳥井信治郎は、日本での製造に向けて、ウイスキーの権威、ムーア博士に技術指導を打診していた。

ムーア博士から、「日本には若くて優秀なスコッチウイスキーの技術者がいるではないか」と言われ、竹鶴政孝を推薦される。

1923年(大正12年)鳥井は竹鶴を好条件で遇した。


ここから、鳥井と竹鶴による国産ウイスキーの製造に向けての取り組みが始まるのです。


竹鶴は、ウイスキーの製造工場はスコットランドに似た風土の北海道に作るべきだと考えていたが、鳥井は、消費地から遠く輸送コストががかかることと、客に直接工場見学させたいという理由で難色を示した。

結局、大阪近辺の候補地5ヶ所から、良質の水が使え、スコットランドのウイスキーの産地ローゼスの風土に近く、霧が多いという条件から、山崎を選んだ。

工場及び、製造設備は、竹鶴が設計。

特に、ポットスチル(蒸留器)は、竹鶴が何度も製造者を訪れて、細かい指示を与えた。

1924年(大正13年)山崎蒸溜所完成。竹鶴が工場長となる。

そして、1929年(昭和4年)サントリーウイスキー白札発売するが、失敗。

続いて、1930年(昭和5年)サントリーウイスキー赤札を発売するも失敗。

元々、ウイスキーの製造は時間のかかるものであるのに、出資者たちから収益が上がらないと批判が上がったため、急いで製品化してしまったので、失敗は仕方ないと思われます。

この辺りから、じっくりいいものを作りたい竹鶴と、鳥井の考えが合わなくなって来たのかもしれません。

失敗で得た経験を踏まえながら、鳥井は竹鶴に長男・鳥井吉太郎をウイスキー製造の責任者として、教育を任せると共に、休むことなく原酒の仕込みを続けてゆく。

1934年(昭和9年)竹鶴は、後続の技師が育ってきた事、鳥井の長男吉太郎に一通りのことを教え終わった事、最初の約束である10年が経過したことから、寿屋を退社。

北海道の余市に、ニッカの前身である大日本果汁株式会社を作る。

余市こそが、スコットランドの風土に酷似した竹鶴が探し求めていた土地だったのです。

湿った風、冷涼な空気、足の下には無尽蔵のピート(泥炭)が広がり、清冽な水が湧いている理想の土地に巡りあったのです。 

最初は、りんごジュースを製造しつつ、ウイスキーの原酒を作り続け、苦労の末、

1940年(昭和15年)ニッカウイスキーの誕生。

やっと、竹鶴の納得いくウイスキーが完成したのでしょうね。




竹鶴政孝のこと、長くなりましたが、だいたいわかってもらえたでしょうか?

詳しくは、NHK連続テレビ小説「マッサン」を見て下さいネemoji


なかなか、ガイドツアーの中身にまで話がいかなくてすみませんemoji




今日はこの辺で、




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今日は、サントリー山崎蒸溜所のガイドツアーについてです。



山崎蒸溜所は、JR山崎駅、阪急大山崎駅より徒歩10分です。

JR山崎駅は、京都駅から、普通電車で15分ですよemoji

観光で京都に来られる方は、ぜひ行ってみて下さい。



昨日の11時のガイドツアーの参加者は、20名くらいでした。

外国の観光客の方も数名。

京都以外も、よくご存じですね(^_^)emoji


展示コーナーには、

  

1923年(大正12年)、古都・京都にほど近く、千利休も茶を点てた名水「離宮の水」が湧き、緑豊かで湿潤な山崎で始まった日本のウイスキーづくり、世界が認める品質の高いウイスキーにたどり着くまでの歩みが紹介されています。


でも、サントリーと言えば、『赤玉ポートワイン』ですよね。

   

サントリーの創業者である鳥井信治郎は、1899年(明治32年)鳥井商店を開業し、葡萄酒の製造販売を始めました。

1906年(明治39年)に、店名を寿屋洋酒店に改め、翌1907年(明治40年)に、甘味葡萄酒「赤玉ポートワイン」発売。

1909年(明治42年)に「赤玉ポートワイン」の最初の新聞広告を出したそうです。それが、上の画像の右側。

そして、1921年(大正10年)株式会社寿屋を設立。

翌1922年(大正11年)わが国初めての美人ヌード写真を使った「赤玉ポートワイン」のポスターを制作したそうです。それが、上の画像です。

斬新ですよね~(*´艸`*)

このポスターはドイツのコンクールで1位を取りましたが、モデルさんは、親から勘当されたそうです。

そして、翌1923年(大正12年)、本格的な国産ウイスキー生産を志し、ウイスキーの本場スコットランドのキャンベルタウンでスコッチウイスキーの製造を学んだ、竹鶴政孝を招聘し、山崎の地に、日本初のモルトウイスキーの蒸溜所の開設着手。

   

1924年(大正13年)山崎蒸溜所完成。ウイスキーの製造を開始。

1929年(昭和4年)わが国初めての本格ウイスキー「サントリーウイスキー白札」(現在のサントリーホワイト)を発売したそうです。上の画像。

しかし、この国産ウイスキー第1号は、「ピート臭が強く、飲みにくい」といった不評が多数を占め、寿屋へは白札の返品が相次いだそうです。

ピート臭というのは、麦芽を乾燥させる際に燃焼させる泥炭(ピート)に由来する独特の煙のような香り(スモーキーフレーバー)の事で、これが、当時の日本人には受けなかったみたいですね。


鳥井と竹鶴はこの失敗にもめげずに、この1年後の1930年(昭和5年)に、ブレンドを変えた廉価版ウイスキーとして「赤札」(現在のサントリーレッド)を発売するも、これも空振りに終わり、赤札は製造中止となったそうです。


国産ウイスキーへの道程は、なかなか大変だったようですemoji


今日は、この辺で・・・






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今日はね、サントリー山崎蒸溜所に友達と行ってたのです。

  

サントリー山崎蒸溜所は、大阪府三島郡島本町山崎にあるのです。

住んでる街から近くにあるのに、一度も行った事がなくて・・・

4年前に関西に戻った時から、行ってみたいと思っていたのです。

  

友達とランチをしようという話になっていたので、

「サントリー山崎蒸溜所に行ってみたい!」

と、私の希望を伝え、

ウイスキー蒸溜所ガイドツアーの予約の電話を入れました。

前日までに電話予約すればOKなんですよemoji

もちろん、参加費は無料です(^_^)

平日は、10時から15時まで、1時間毎の計6回、

土日祝は、10時から12時まで、1時間毎の計3回。

車で行っちゃダメですよemoji

試飲出来ませんからね(笑)

  

今日は、とってもいいお天気すぎてemoji

暑くて、駅から山崎蒸溜所に行くまでに汗をかきましたemoji

  

山崎って自然豊かで、静かな落ち着いたいい町ですよ。

今日は、ゆっくり山崎を楽しむことが出来大満足でした。

蒸溜所の見学については、また明日報告しますね~emoji



今日も来て下さってありがとうございましたemoji



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こんにちは~!

7月もあと少し・・・emoji

いよいよ8月ですよね。

ほんと、月日が経つのが早くて・・・(^o^;)

でも、夏は早く過ぎ去って欲しいです(笑)



さて、この前のプリザーブドフラワー、

夏らしい作品です。


  

大きな貝の形の器に挿してます。

  

夏らしいブルーが爽やかな感じ。


   


どこかにお出掛けするより、暑い夏はお家で、

プリザーブドフラワーを作っていたい私ですemoji



またまた、太りますよね?

こんなんじゃ・・・emoji




今日も来て下さってありがとうございますm(_ _)m

そうそう!

今日で、私のブログに来て下さった方、

延べ60000人を超えましたemoji

ありがとうございます~emoji

嬉しいです(*´▽`*)emoji

本当に本当に感謝していますm(_ _)m

拙いブログですが、末永く宜しくお願い致しますm(_ _)m


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自己紹介:
転勤で、東京・神奈川・埼玉に住み、2010年、出身地大阪に戻ってきました。
大阪での日々の暮らしをブログで発信しています。
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