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今日は、サントリー山崎蒸溜所のガイドツアーについてです。
山崎蒸溜所は、JR山崎駅、阪急大山崎駅より徒歩10分です。
JR山崎駅は、京都駅から、普通電車で15分ですよ
観光で京都に来られる方は、ぜひ行ってみて下さい。
昨日の11時のガイドツアーの参加者は、20名くらいでした。
外国の観光客の方も数名。
京都以外も、よくご存じですね(^_^)
展示コーナーには、
1923年(大正12年)、古都・京都にほど近く、千利休も茶を点てた名水「離宮の水」が湧き、緑豊かで湿潤な山崎で始まった日本のウイスキーづくり、世界が認める品質の高いウイスキーにたどり着くまでの歩みが紹介されています。
でも、サントリーと言えば、『赤玉ポートワイン』ですよね。
サントリーの創業者である鳥井信治郎は、1899年(明治32年)鳥井商店を開業し、葡萄酒の製造販売を始めました。
1906年(明治39年)に、店名を寿屋洋酒店に改め、翌1907年(明治40年)に、甘味葡萄酒「赤玉ポートワイン」発売。
1909年(明治42年)に「赤玉ポートワイン」の最初の新聞広告を出したそうです。それが、上の画像の右側。
そして、1921年(大正10年)株式会社寿屋を設立。
翌1922年(大正11年)わが国初めての美人ヌード写真を使った「赤玉ポートワイン」のポスターを制作したそうです。それが、上の画像です。
斬新ですよね~(*´艸`*)
このポスターはドイツのコンクールで1位を取りましたが、モデルさんは、親から勘当されたそうです。
そして、翌1923年(大正12年)、本格的な国産ウイスキー生産を志し、ウイスキーの本場スコットランドのキャンベルタウンでスコッチウイスキーの製造を学んだ、竹鶴政孝を招聘し、山崎の地に、日本初のモルトウイスキーの蒸溜所の開設着手。
1924年(大正13年)山崎蒸溜所完成。ウイスキーの製造を開始。
1929年(昭和4年)わが国初めての本格ウイスキー「サントリーウイスキー白札」(現在のサントリーホワイト)を発売したそうです。上の画像。
しかし、この国産ウイスキー第1号は、「ピート臭が強く、飲みにくい」といった不評が多数を占め、寿屋へは白札の返品が相次いだそうです。
ピート臭というのは、麦芽を乾燥させる際に燃焼させる泥炭(ピート)に由来する独特の煙のような香り(スモーキーフレーバー)の事で、これが、当時の日本人には受けなかったみたいですね。
鳥井と竹鶴はこの失敗にもめげずに、この1年後の1930年(昭和5年)に、ブレンドを変えた廉価版ウイスキーとして「赤札」(現在のサントリーレッド)を発売するも、これも空振りに終わり、赤札は製造中止となったそうです。
国産ウイスキーへの道程は、なかなか大変だったようです
今日は、この辺で・・・
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